“指宿発祥の地”宮ヶ浜まち歩き 概要
- ■実施日
- 年末年始(12月29日〜1月3日)他、イベント開催日等を除く
毎日実施。事前に人数・日時・希望コースをご連絡ください。 - ■実施時間
- 案 内・・・午前 9:00〜12:00
午後 13:00〜16:00(15:30最終受付)
申込締切・・・案内日の前日までにお申し込みください。 - ■ 案内費用
- 大人1名 500円(中学生以下無料) 受け入れ人数/2名〜
- ■申込方法
- 所定の申込用紙にご記入いただき、FAXいただくか、お電話でお申し込みください。
- ■案内内容
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A 商家(国登録有形文化財5か所)巡りコース・・・≪40分≫
B 商家巡りと日本一のアコウの巨木(天然記念物)巡りコース・・・≪1時間≫
C 商家巡りの内、更に店舗内見学や公民館内見学により当時の生活文化に触れるコース・・・≪1時間30分≫
D 海岸まで足をのばし11万年前の火山石に触れ、指宿発祥の地を肌で感じる物知りコース・・・≪2時間≫
E その他「酒蔵見学」やおまかせコースも可能
- ●関連史跡一覧
- ①宮ヶ浜港防波堤(捍海隄) ②丸十金物百貨店兼主屋 ③丸十金物百貨店 蔵 ④中俣家住宅主屋 ⑤坂本家住宅主屋 ⑥蜷川菓子店兼主屋 ⑦松尾城(指宿城)跡 ⑧湊川橋 ⑨長勝院址石造物 ⑩宮ケ浜のアコウ 他
- 注意1:コースは最大で5km歩きますので、動きやすい格好でお越しください。
- 注意2:当散策コースは一般道を歩きます。交通安全には参加者自身で十分にお気をつけください。尚、車を使用した散策はできません。また、雷雨・豪雨や台風等により、ガイド又は事務局が危険と判断した場合は散策を中止することがあります。
- ❶宮ヶ浜港防波堤(捍海隄)[国登録有形文化財]
- 指宿市西方宮ヶ浜の海岸にある、北西から南東にのびる三日月の形の防波堤。船を安全に停泊させるため、天保4年(1833)、第27代薩摩藩主島津斉興により建造。長さ230m,高さ5mの防波堤は当時の指宿地方では最大の防波堤だった。
- ❷丸十金物百貨店兼主屋[国登録有形文化財]
- 創業は明治初年。初代黒岩伊勢五郎の当時は、「伊勢五郎店」と呼ばれていた。二代目 十左衛門の頃、「十黒岩」と名札に表記。その後三代目 黒岩正則が「○丸十金物百貨店」と表示したとされる。
- ❸丸十金物百貨店 蔵[国登録有形文化財]
- 丸十金物百貨店の「蔵」は店の奥にあり、壁面は漆喰塗りの二階建てで頑丈な梁で造られている。蔵は裕福さの象徴とされることから、当時の繁栄ぶりがうかがえる。
- ❹中俣家住宅主屋[国登録有形文化財]
- 日露戦争勃発の頃の明治37年(1904)に建てられ、築100年以上が経つ。当時は呉服店であったが、特徴的な三段屋根から商売の繁盛ぶりがうかがえる。
- ❺坂本家住宅主屋[国登録有形文化財]
- 大正10〜11年の建設。当時、池田湖周辺の金山「大谷鉱山」の作業着を取り扱っていた。戦中〜戦後は煙草や米の配給所として、宮ヶ浜集落の重要な拠点であった。
- ❻蜷川菓子店兼主屋[国登録有形文化財]
- 大正時代の初期に、蜷川喜次郎が貸家として建築。昭和初期に蜷川利助が菓子店として創業し現在に至る。内部に通り土間をもつ伝統的な町家である。
- ❼松尾城(指宿城)跡 [指宿市指定文化財]
- 山城と海城の両性をもつ全国でも極めて珍しい城。鎌倉時代に築城されたと言われ、指宿氏が拠点とした。その後、城主は入れ変わり、江戸初期の元和元年(1615)に幕府の一国一城令を受けて廃城になるまでの約400年間、指宿の歴史はこの城を中心に動いていた。
- ❽湊川橋[指宿市指定文化財]
- 宮ヶ浜にある江戸時代の石橋。第27代当主島津斉興の家老であった調所笑左衛門広郷が、肥後の石工、岩永三五郎に造らせたものと伝えられている。橋のアーチには、天保15年(1844)の銘が残る。
- ❾長勝院址石造物[指宿市指定文化財]
- 弘安元年(1278)に長松院という寺があったが、慶長14年(1609)、島津義弘が琉球出兵の際、息子家久の勝利を祈って長勝院に名前を変えたと伝えられている。
- ❿宮ヶ浜のアコウ[指宿市指定文化財(天然記念物)]
- 報国神社の境内には、日本一のアコウの巨木が生えている。幹周り14.6m,推定樹齢470年。色濃く緑が茂ったアコウはよく目立つため、昔は海上航行の目印にしていたとも伝えられる。