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"湯豊宿" 指宿の名前の由来とは

2014年04月19日

今回は「指宿」の地名のゆかりの地を訪れてきました。

当地の地名「指宿」。なかなか「いぶすき」とは読めませんよね。観光の仕事に携わっておりますと、今でも「ゆびやど」や「ししゅく」という読みを耳にすることもあり、まだまだPRが足りないなあ、と感じることがあります。

ではなぜ「指宿」という名称となったのか、その由来の一つとされる文化財が指宿市十町南迫田にある「光明禅寺」にあります。

光明禅寺の入口の階段を上り、正面にあるのが指宿市指定文化財にも指定されている板碑。
説明文も設置されております。
板碑には、市文化財に指定された理由となる「湯豊宿郡」という文字が。
(拡大)
説明によりますと、この板碑が建立されたのは天文(てんぶん)12年(1543)。碑文には、「薩州湯豊宿郡」と記されており、その当時は「指宿」を「湯豊宿」と書いていたことが分かります。
「湯が豊かな宿」、この頃から、指宿は「湯のまち」、「宿場町」として認識されていたのですね。まさに今の姿と変わらぬ指宿が、その当時もあったのでしょう。
湯が豊かな町であり「湯豊宿」が「指宿」に転じた。この板碑は、指宿の名前の由来となった説の一つを示す貴重な資料として指宿では知られております。
以前聞いた話ですが、この板碑ができた時と同じころ、日本にキリスト教を伝えたザビエルが日本を訪れる前に、「ジョルジュ・アルバレス」という人物が日本を調査に来たそうです。アルバレスが残した、日本のことを書いた書物には指宿のことも書かれており、砂に穴を掘って横たわっている、と砂むし温泉を思わせる記述があるとのこと。
中世の昔から、人々が砂むしや温泉を日常的に楽しんでいる。この板碑を実際に見て、指宿温泉の歴史の深さを再認識することでした。
byいぶすき☆NET
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