幕末 幻の豪商 浜崎大平次の足跡をたどり
南国らしい指宿の町並みをご案内します。
ゆったりと歩き指宿の歴史を探してみましょう。

湯ったい指宿まちあるきガイド概要

歴史に触れ、自然に親しみ、いろいろな場所を歩きながら巡ります。

現在のJR指宿駅から指宿港の一帯は、幕末は湊村とも呼ばれ、豪商「浜崎太平次」の生家があり、貿易会社「ヤマキ」の本拠地があった場所でもありました。幕末から明治維新へと向かう薩摩藩を財政的に支え、多くの功績を残した、指宿が誇った商家の名残を、地元ガイドと一緒にお楽しみください。

■実施日
年末年始(12月29日〜1月3日)他、イベント開催日等を除く毎日実施。事前に予約が必要です。
■実施時間
案  内・・・午前 9:00〜12:00
       午後 13:00〜16:30(15:30最終受付)
申込受付・・・9:00〜16:30
申込締切・・・案内日の前日までにお申し込みください。
■案内費用
大人1名 500円(中学生以下無料)
※当ガイドが行う散策コースは、一般道を歩行いたします。
 お客様へは傷害保険への加入をお願いしております。
■申込方法
所定の申込用紙にご記入いただき、FAXいただくか、お電話でお申し込みください。
■案内内容
JR指宿駅前を出発し、下記散策コースの通り、指宿市湊地区に残るゆかりの地をご案内いたします。
●「浜崎太平次」関連史跡一覧
①セントラルパーク指宿 ②第8代太平次のお墓 ③町割 ④江戸時代の蔵 ⑤太平次公園(太平次銅像を眺める) ⑥稲荷神社 ⑦水路跡  ⑧家由来の鬼瓦 ⑨御本陣馬場 ⑩浜崎太平次屋敷跡(NTT敷地)
●「浜崎太平次」ゆかりの地 散策コース
☆60分コース[観光協会集合 ①〜⑩ 観光協会解散](自家用車対応) ☆90分コース[JR指宿駅集合 ①〜⑩ JR指宿駅解散] (JR・その他公共交通機関対応)
  • 注意1:散策コース例の時間はお手洗い等を含みません。ご見学の際は上記コース例の所要時間に10〜15分程度加算した時間が滞在時間の目安となります。また、団体や足の悪い方がいらっしゃる場合は時間に余裕をもってお越しください。
  • 注意2:コースは最大で2.5km歩きますので、動きやすい格好でお越しください。
  • 注意3:当散策コースは一般道を歩きます。交通安全には参加者自身で十分にお気をつけください。尚、車を使用した散策はできません。また、雷雨・豪雨や台風等により、ガイド又は事務局が危険と判断した場合は散策を中止することがあります。

第8代浜崎太平次 とは・・・

第8代浜崎太平次正房は文化11(1814)年に指宿村湊のヤマキという商家に生まれました。少年時代より家業の海運業を志し、那覇、大阪、新潟、佐渡、函館などに支店を設け、薩摩藩の後ろ盾もあって事業を拡大し、当時幕末の動乱の中にあった薩摩藩の財政の立て直しに大きく貢献しました。しかし、文久3年(1863年)、大阪で病にたおれました。

①セントラルパーク指宿
指宿市の中心部に位置するセントラルパーク。南国特有のガジュマルやソテツなどが植栽されています。園内のビジターセンターには観光協会があり、観光案内を行っています。
②第8代太平次のお墓
湊児童公園にひっそりと佇む第8代浜崎太平次のお墓。太平次の母セン子は、大きな帆船が白い帆を掲げて堂々と入港する光景を夢に見て、太平次を生んだという逸話が残されています。
③町割
第6代太平次の時代に整備されたと伝わる町割(区画整理)の面影を今も感じ取ることができます。幕末にはヤマキの倉庫群が広がっていたと伝わっています。
④江戸時代の蔵
町割の中に江戸時代から残る蔵。当時は沢山の白壁が広がっていたのではないかと考えられています。現在、1カ所残る蔵には「山三」の屋号を見ることができます。
⑤太平次公園
指宿が誇る豪商を称え、指宿港には第8代太平次の銅像が建立されています。太平次公園という愛称が付けられ、海に生きた太平次を今に伝えています。
⑥稲荷神社
浜崎家第5代太左衛門が建立したと伝わる稲荷神社。敷地内には8代太平次を称える頌徳碑や、親孝行の碑、アッカドン(火ふせの神)など、指宿の歴史を垣間見ることができます。また、境内には当時「船を繋いでいた」と伝わる大きなアコウの木や、クロガネモチなどの指定保存樹木を見ることができます。
⑦水路跡
潟口(二反田川河口)から浜崎家の屋敷まで引かれていたと伝わる運河の跡が、現在では細い水路となって当時をしのばせています。
⑧浜崎家由来の鬼瓦
8代太平次の弟・弥兵衛の屋敷跡に残された鬼瓦。太平次が弟のために肥前(長崎)から運んだと言われ、平成12年までの約160年間、その姿を残していました。
⑨御本陣馬場
浜崎太平次の屋敷の前にある一本の道路。御本陣馬場と呼ばれ幕末は一般の人々の通行を固く禁じていたと言います。明治から大正にかけては周辺で最も賑わっていた通りでした。
⑩屋敷跡
現在NTTが立つ敷地が、太平次の屋敷であったと伝わっています。屋敷の配置を記した絵図が現存しており、島津の殿様を迎えるための屋敷「御座間」には、島津斉彬公も逗留しています。

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